拘留されていた船長の釈放が決まった瞬間に湧いて流れ続けた感情は、自分の根本にも近いものだった。
一つそれを、いまの態度として打ち出してみよう。そうすることが自分を説明することにも繋がるし、読んでくれる人に啓発しうる内容にもなるはずだ。
幼いころの不快なほど拙い気持ちも、すべて正直に書く。
それまでの中国への記憶というと、小学校の頃10時のニュースで北京の町並みの映像と共に報じられる「中国人はもはや自転車にばっか乗っているのではなく自動車の購買力が伸びていて、現在の北京の風景は我々日本人が典型的に思い浮かべる姿とは随分ことなったものとなっています」という旨のニュースを見聞きしたことくらい。
他の知識はすべて小学校の社会で習ったもので、小5のときの担任の先生が「10年後には中国、20年後にはインドが日本の経済力を上回る。これからの日本を支えて彼らと競っていくのは君たちなんだよ」というメッセージを発したのを聞き流した覚えもある。
何故聞き流したのかというとそれはわが身に関わりのないことだったからだ。社会のペーパーテストというものは当事者意識も何もなくても無機的な知識さえあれば点数になる。
若者が日本を担っていく、という言葉のニュアンスにも失笑した。通っていた小学校では2,3番ぐらいの成績だったから密やかな自尊心があったのだが、担っていくということとは縁遠く感じられた。これにはまだ説明を付けられないけれど、先天的な自分はそういうヤツだったと記録しておく。当時の俺の現実は家庭と学校と通っていたスイミングスクールで起る茶飯事に終始していた。そしてそれは無根拠に永遠に続くものだと思っていた。
そんな自分にとって、最初にあげた写真はまったく刺激的だった。これは、化学物質で汚染された中国の河川である。「七色の川」として紹介され、一部のネットニュースはそれと中国産の農産物の危険性を併せて報じていた。バイアスがなかったがゆえに俺はバイアスに容易くかけられ、中国はとんでもない国なのだと思った。
中国全土の光景が本当はあんなものであり、その中で育てられた農産物をその日の朝も昼も食ったのだと思うと本気で震えた。更に調べると、刺激的な「事実」がいくつも出てくる。
中国は百発以上の核ミサイルを日本に向けている
その時の俺のキャパシティにとってそれらの情報は身に余るもので、咀嚼なんて出来ず、その夜は本気で降ってくるかもしれないミサイルを思って寝られなかった。
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