2009年05月15日

眠いときは

無理に勉強しないほうがいい。特に数学、物理。
あやふやなまま解法をインプットしちゃうと、後々になって問題点が露呈される可能性あり。それから、理解力もたぶん極めて落ちている。
だから問題の内容があんまり頭に入ってこないばかりか、「もしかして俺って馬鹿なんじゃねーの」っていう恐怖がむくむくと肥大してきます。何もいいことがない。
やるなら単語や公式の暗記など、単純な作業にしておくといいと思う。それは本当に勉強っていえるのかどうか怪しいけど、かなり効く。綴りを間違えて写すだとかいう問題外な事をしない限り。
頭の回転が鈍っているわけだから当然覚えるだけの作業でもあんまりはかどらないかもしれないが、てきぱきとしたスピードで沢山の量をやっておくといい。
その場で覚えたことはすぐ忘れるかもしれないが、次にやったときに「既視感」が残っている可能性がある。まったくの初見のときと違って、2回目以降に覚えやすくなるのだ。

これが数学の長い解法や物理の捻った閃きでは、曖昧に脳みそに記憶されている危険性のほうがでかくなって、「なんとなく見たことがある/覚えてる」というのが逆に足を引っ張る結果になりかねない。
自信のある人や向いていると思う人はやってもいいんだろうが、俺は今のところあまり理数系が得意ではないから、疲れているときにはやらない。


さてもうちょっと個人的な話をすると。疲れている日のほうが多いんですよ!俺。内職で数学に没頭するわけにもいかないし、中々理数系を理想的な状態でやる時間というのが取れない。
rampelさんも言ってたけど暗記のルーティンワークはやっぱり本当の勉強ではないという気もけっこうする。
切羽詰っている人らは疲れていようが何だろうがガンガン勉強していくっぽいし、俺のこの考え方は通用しないかもなぁ、ううむ。
「適切な量」を「適切な科目」に「適切な時」にぶちこんでいくのが効率のよい勉強だと思ってる。


※今回の話は、いつもどおり俺の経験則に基づくもので、まったく科学的で反証された観点に立っておらず、普遍的ではないです。


posted by 熊りん at 20:02| Comment(0) | 勉強 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月02日

一種の、あほらしい感じである。―大学受験

俺はブログ巡回が趣味だ。記事よんで薀蓄を増やすのも、記事書いてる本人の人間性を想像していくのも、
たまに喧嘩まがいのコメントをふっかけてやり取りするのも好きだ。
基本的に雑食つまみぐいの傾向にあり、ジャンルの幅は広めだと思うが、やはり同年代の受験生ブログなどは特に気になる。
参考書や予備校の情報も入ってくるという利点もある。だがそれ以上に、公開されている模試結果などがモチベーションの向上に大いに役だつ。
かなり高偏差値を叩きだしている人が頻繁に見られるのだ。
受験生ブログなるものをやっている人はかなり真剣に「受験」に取り組んでいる人が多く、列記されている勉強時間も驚くほど多い。そういったことが
要因なのだろう。いつも俺がサル山の大将になってしまうのを防止してくれている。

今の日本の状況を考えれば、大学受験はかなり重要なものと位置づけられているのが容易に分かる。
それに対して自らしっかりとした調査をし、対策をたて、学習を実行する。継続させていく。そういった一連の流れを高校生のうちから
やっていくのは必要なことだろうし、実際にやっている人たちは「偉い」のだと俺は思う。
俺自身は、その重要性とかは理解しつつもなかなか実行の段階に移せず計画ばかり立てることに終始してしまうことが多いからだ。

しかし、一部のブログを見ていると、大学受験に対して狂気じみた思いを感じることがある。
所謂「有名どころ」も多いからあえて挙げることはしないが、本当に大学受験のために脳みその中身を改革する必要はあるんだろうか?
外国の学者を持ち出してきて脳の構造がどうとか言う以前にやることはあるんじゃないか?
大学受験のためにすべてを投げ捨てて、同級生を畜群とでも言い罵らんばかりに軽蔑する必要はあるのか?
命をかけて大学受験する必要はあるのか?
そこまで生活をカスタマイズして特化しなきゃ受かる見込みはないのか?

大学受験のために、そこまでするか?

これが俺の一番思ったことである。最初、「どんびき」っていう意味をはらんでこの言葉が浮かんできたが、
次第に「あほらしい」に変わった。
自分の環境を確認するに、俺は中高一貫の私立に通ってる。周りは
あんまり意識的に勉強してなさそうな奴らばかりだ。そいつらとの
ギャップゆえに驚いている、という部分もあるのは否定しない。
目的もなく勉強をしている奴らは確かに畜群のようなものかもしれない。
(集団としてみたらそうだけど、個人個人は気のいい友達だったりするのはまた別の話だ。)
でも、大学受験のために人格削るのってどうよ?俺は馬鹿らしいと思う。
一念発起して、だめな自分を変える!とかそういう意志が根底にあるならまだ頷けなくもない話だけど、
大学受験がゴールじゃないじゃん。燃え尽き症候群も典型をすぎて
気味が悪いレベルだ。
昨今さんざん言われていることだけど、もはや医学部をのぞけば
大学に入ることは人生の勝ち組切符を手にすることと一致しなくなってる。
んで俺がさんざん言ったことだけど医学部だってそういうもんじゃなくなってきてる。
入ってからどうするか、じゃないの? 究極の効率よい勉強法がどうたら!って書いてある記事より、馬鹿馬鹿しいぐらい夢とか妄想とか
つづってあるほうが俺は好きだ。世の中には俺が今批判した
連中を支持して、同じものを目指す輩もいるみたいだが、そこまでふくめてあほらしい感じである。
大学受験での効率を探求していくうちに他のことに通用する真理を
得たりするのはあるかもしれない。俺も多少勉強するようになってから
時間の使い方とかに関してよりよく考えるようにはなった。
でも、それに己のすべてを一点集中させるほどの価値あるか?
大学受験専攻とでも名乗れよ。と思う。

そんな斜に構えて自分が落ちたらこの上なくダサい。だが、大学受験では効率よくやるっていう要素も必要でしょ。
考えてばっかいないで実行して、いかに他のものの犠牲を少なくするか。
俺はそこらへんに意味があると思うので、出来る限りは人格かわらんまま、自然体(笑)で
学んでいって偏差値あげて受かるつもり。
今回のことでより多くの人を敵に回しそうな気がするが、とりあえず
現在のところ俺は受験フリークの連中と交わるのは気味が悪いという
考え方を持つに至った。一応説明できる形で。
ま、参考書の戦略とか書いてたらすげー楽しいんだけどw


※表題は太宰治のことばより引用した。
posted by 熊りん at 23:15| Comment(0) | 勉強 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月01日

志望。

正直どうすっかすっげーーー迷ってる。
このままなら京医を目指すし、現役で行くためには最低限必要な
高3までの目標も科目ごとに立てた。文転するなら東大の文Tを目指す
ことになる。今のところ他の選択肢はない。

どちらも、迷っているような奴が通る学部ではない。特に京医のほうは調べれば調べるほど、俺にはオーバースペックかもと思わざるをえなくなってくる。
唯一の目標に定めて2年間必死に頑張っても、尚、厳しそうだということだ。

だが決められない。かの夏目漱石や湯川秀樹も文理という区別の前で
悩みぬいたらしい。学部へ入ってからどの分野に進むとか何を専攻する
とかはまた実際に入ってみて感触を得てから決めればいいが、文系・理系を決めないことには最初の一歩が踏み出せない。

世の中あんまり深く考えずとも能力と交流関係があればけっこうなんとかなるらしいが、俺は非常にネガティブで心配性だから根堀葉堀調べる。
「医者と東大 選ぶならどっち?」とか「真の勝ち組大学・学部十傑」
みたいなコラムも、わざわざプレジデント買ってきて読んだ。
2chはあまりにも私怨が多いから有益そうな情報は少なかったが、
怖かったのはどこのサイドからもここだけには来るなというメッセージが発せられていたということ。
前も書いたように世間は自分とは別次元の「高学歴」とかを勝手に神格化するが、
医学部はいろうが文Tから財務省へ行こうが、とてつもない激務が待っている。
そりゃ派遣・フリーターっつう社会の調整弁やってる人からすりゃ激務でも仕事あるならいいじゃん、激務でも高給ならいいじゃん、
という意見は出てくるんだろうが、一つ確認しておきたい。
医者や官僚はそいつらよりは遥かに優秀で、しかも死に物狂いの努力を重ねてきた連中ばっかりだぞ?
派遣は甘え。とか自己責任とかは言うつもりはない。頑張ってもどうしようもないことは確かにある。そういう人らが救われないというのなら「行政」だとか「政府」はその名前を返上すべきだ。

だが、高給激務のエリート叩きに繋がるのは絶対におかしいと思う。
さらにもっと言えば、官僚のほとんどは激務だが高給でもない。
外資系金融やら士業に就いた同世代の半分ぐらいしか貰えない。
貰っている連中も連中で壮絶な激務だが……。

京大医学部も東大文Tも、日本最高峰の難関である。しかしそれを
突破しても、「安定」を求めるなら想像を絶するハードワークが待ち受けている。
モチベーションが維持できない、とか甘ったれた戯言の以前に、
すごい閉塞感を肌に感じる。

じゃあ夢を追ったらどうか? 例え金にならなくても研究さえ出来ればいい! とか 一か八か起業してビッグになるぜ!
とか。

同世代(高2)を見渡すとけっこうそういう奴が多い。志望分野を語らせたら俺のこの記事以上の量をとめどなく言える奴とかもいる。
それに関して俺はとやかく言う気はないが、起業して成功していけるやつは
一握りという表現でも誤謬が生じるほどだし、「食っていけるレベル」に限っても相当低い。どこをとりあえずの着地点として起業するかで全然違ってくるけど。
研究にしたって、肩書きつきで残れるのは大学受験なんていうヒトケタ台の倍率の比じゃない競争に勝ち残った奴のみだし、
企業が高齢を嫌がってニート博士が量産されている、という惨状が紹介された記事はよく目にすると思う。


くどくど述べてきたが、俺はというと……
今から生涯年収とかを考えて志望を決めたくもないし
夢のためにいろいろ犠牲にするほどの覚悟もない というか夢がない
自尊心を保ちつつ、可能性を残していく方向で考えている。

要は、こんだけの分量考えているようで、俺は核心をほとんど考えられていないのだ。

さて困った……。医学部と法学部というのは一番「つぶしのきく」
学部だと言われている。東大京大なら尚更だ。夢に破れても食いっぱぐれることはない。ただし、夢を追う実力があれば。
(京大とかだと下3分の1はマジで悲惨なデータが出てた)

現状を纏めて判断するに、「モラトリアムの延長をさせるため」に
勉強あるのみ
、ということか。東大の進振り制度は言うまでもなく、
京大も教養課程では学部に依らず非常に幅広い講座から選択することができる。
文句を言う前に、そこに参加する実力を養うこと。激務地獄から逃げる方法を考える以前に、まずそこに入っていく資格も全然ない状態なのだ。

そう考えるしかない……と思う。贅沢というか馬鹿らしいが、真剣な悩みだ。
でも、それではやはり、いまひとつどこに力を入れて、なにに向かって力を放てばいいのか分からず、不安。鬱屈。

意見がほしい。見ている人いないけど。
posted by 熊りん at 20:02| Comment(0) | 勉強 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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