2010年09月26日

中国への態度と、当事者意識

尖閣諸島沖の問題がここ数週間で数多く取り上げられている。事件の変遷を追いながら考えを纏めてきたけれど、
拘留されていた船長の釈放が決まった瞬間に湧いて流れ続けた感情は、自分の根本にも近いものだった。
一つそれを、いまの態度として打ち出してみよう。そうすることが自分を説明することにも繋がるし、読んでくれる人に啓発しうる内容にもなるはずだ。

幼いころの不快なほど拙い気持ちも、すべて正直に書く。


C3E6B9F1A1A6BCB7BFA7A4CEB1F8C0F7C0EE.jpg20050803_8.jpg中学1年生のときにみたこの画像が、物心がついて以来の自身の大転換となった。
それまでの中国への記憶というと、小学校の頃10時のニュースで北京の町並みの映像と共に報じられる「中国人はもはや自転車にばっか乗っているのではなく自動車の購買力が伸びていて、現在の北京の風景は我々日本人が典型的に思い浮かべる姿とは随分ことなったものとなっています」という旨のニュースを見聞きしたことくらい。
他の知識はすべて小学校の社会で習ったもので、小5のときの担任の先生が「10年後には中国、20年後にはインドが日本の経済力を上回る。これからの日本を支えて彼らと競っていくのは君たちなんだよ」というメッセージを発したのを聞き流した覚えもある。
何故聞き流したのかというとそれはわが身に関わりのないことだったからだ。社会のペーパーテストというものは当事者意識も何もなくても無機的な知識さえあれば点数になる。
若者が日本を担っていく、という言葉のニュアンスにも失笑した。通っていた小学校では2,3番ぐらいの成績だったから密やかな自尊心があったのだが、担っていくということとは縁遠く感じられた。これにはまだ説明を付けられないけれど、先天的な自分はそういうヤツだったと記録しておく。当時の俺の現実は家庭と学校と通っていたスイミングスクールで起る茶飯事に終始していた。そしてそれは無根拠に永遠に続くものだと思っていた。


そんな自分にとって、最初にあげた写真はまったく刺激的だった。これは、化学物質で汚染された中国の河川である。「七色の川」として紹介され、一部のネットニュースはそれと中国産の農産物の危険性を併せて報じていた。バイアスがなかったがゆえに俺はバイアスに容易くかけられ、中国はとんでもない国なのだと思った。
中国全土の光景が本当はあんなものであり、その中で育てられた農産物をその日の朝も昼も食ったのだと思うと本気で震えた。更に調べると、刺激的な「事実」がいくつも出てくる。
中国は百発以上の核ミサイルを日本に向けているd0112506_8484017.jpgことや、何百万というウイグル人、チベット人を民族浄化と称し虐殺してきたimagesCA07TMTY.jpg等ということだ。
その時の俺のキャパシティにとってそれらの情報は身に余るもので、咀嚼なんて出来ず、その夜は本気で降ってくるかもしれないミサイルを思って寝られなかった。

↓つづく
以来、突如として自分の中にこれまでと全く反するもの、当事者意識が芽生えた。
「アフリカの恵まれない子ども達」という言葉がある。それは、遠い言葉だ。ガリガリにやせ細った黒人の少年少女が想起され、数百円募金しただけで何かをした気になる。最も当事者意識のない世界との関わり方だと思う。
だが汚染された川は、拷問を受け人でなくなった姿は、「アフリカ」などと国名の総称でぼやかされてもいない圧倒的なリアルだ。隣の大きな国でそれが行われていて、外交をしていて地政学的な問題を抱えていて経済依存も激しい日本にとって大いに関係のある事実なのだ。
その当事者意識は先鋭的なもので、ゆえにネット右翼とか呼ばれる集団にも呼応したし、周りとのギャップに苛立って傷つけたりもした。

はだしのゲンを見て、自分とは関係ないものだという前提に安心しながら黒コゲになっていく人たちの絵を怖いもの見たさに見まくった、という話は昔した。
そうではなかったのだ。黒こげになり、皮膚がちぎれ、ガラスが全身に突き刺さった姿は自分の身にとってのリアルに十分なりうるのだ。何故なら現実問題として核を向けられているんだから。知った気になったことなんか言ってられない。
拷問されて骨が露出している少数民族の青年やチベットの僧侶の姿と、自分は必ずしも遠くない。
何せ中国は国全体としては反日で、歴史問題と領土問題で大きく対立しているんだから。
対立しているということとそのイメージとがすぐ合わさった。


あえて「今」の視点で語るなら、中国の恐ろしい部分には間違いはないが、それが全てでないことは少なくとも知っている。全ての河川があの画像のようになっているわけではないし中国人一人ひとりが日本人への脅威となっている、等という偏狭なナショナリズムも発露させるつもりはない。


さて中1の事件から、俺の問題は常に自分の中の激情をどう人にうまく説明するか、ということになった。平和の中にいて自分の知った(つもりになった)ことは突拍子もなく、そのまま話しても信じられないのは理解していた。それをどう伝えればいいのか模索し続けた中学時代だった。
毎朝何かしら日本の脅威のニュースを見つけて憂鬱になってはそれを周りにも伝え共有しようとする嫌なヤツだっただろう。
いまから3年前、中学3年生のときには毒入り餃子事件が起りチベット問題も大きくフィーチャーされ、少し自分の住んでいる世界と外との距離が消失した気がした。
その時俺は社会の教師に本気で議論を挑んでいったし、チベット国旗を購入して掲げながら募金活動もした。
そうした肌で感じる行動の中で、物事はそれほど単純でないのは少し理解するようになった。
これが勉強する第1のモチベーションに変わる。それまでは自尊心を満たすために勉強していて、身に肌で感じる破滅と拷問への恐怖に比べると随分安っぽいものだった。そうではなく、自分が担っていく一員となる手段として自分には勉強がまず取っつきやすく得意としうるものだと自覚し、最大限立ち向かおうと考えたのだ。


またこれも説明できないから記録しておく事柄になるが、経済というものが嫌いだった。中1から高1ぐらいまでずっと嫌いだった。極右的な民族感情から言うと中国とは関わらず関わらせないでいたいのにどうやら経済の結びつきとやらがそれを不可能にしているらしい。
しかし物事を知るうちに、逆に経済の結びつきがあるからこそ向こうも破滅的なことを出来ないのだとわかるようになったし、実際今回の尖閣諸島の問題でも経済への影響というものが互いの足かせになった。
すこし野望というか展望を書くと、俺がいま模索しているのは、経済という関わり方によって、中学の頃感じた種類の恐怖を排除していくこと。まったくその望みに反する事態が進んでいってるんだけどそれはまた別の記事の別の話、だろう。


さて、何度も何度も、ドヤ顔で知った気になったことを語る人は大嫌いだとブログやらtwitterで述べてきた。酒を呑みながらラブ&ピースとか言ってる集団が最たる例で、畢竟彼らには目的意識がない。自分という存在が大きすぎて、中心というか全てだから、外の世界は騒ぐネタとしてあればいい。そこで泣いたり笑ったりすることは何もおこさない。
本気で思ったつもりになっていても、知ろうとしていないんだもん。
だから彼らにとって「アフリカ」はガーナであってもエチオピアであってもナイジェリアであっても全く構わないのだろう。
(もし誤解する人がいてはいけないから弁明するけど「アフリカ問題」も、自分の身に危険が及ぶか否かという視点からは薄いけど、現在では大きな問題として取り組む方法を考えている。)

騒ぐ楽しさを知っているからこそ俺はそう思う。楽しいけれど、でもそれだけが全てだと、あの確かな恐怖は近づきつづけてくると思う。中国への恐怖というのは自分の例だが、他人には他人の、
圧倒的なリアルの恐怖というものがあるはずで、それらへの意識を忘れたフリをしたり、解決したかのような振る舞いを国全体がしているのは本当にメチャクチャに危険な状態だ。


中国人船長が解放されて、政府内の統率のとれてなさが話題になって、でもmixiでは個人的なニュースを個々が発信していて、翌日学校へ行って話しても「日本はあかんなww」とか、意味ありげな苦笑で終わってしまうことにまた別種の危機感を覚え、じゃあ俺は何を発信すべきなのかと自問した末にこの記事が出来た。
何かしらの危機感とかになってくれて、当事者意識が芽生えたら幸い。拙さを指摘してくれても嬉しい。
posted by 熊りん at 22:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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