2010年08月22日

蛸壺屋さんの「THAT IS IT」 感想

京都に帰ってまずやったのが、出発前に友達に頼んでおいた、蛸壺屋の「THAT IS IT」を読んだこと。
この作品の全体像を貫くイメージは、「足立淳のブログ彼岸花・改訂版」が見事に四行で言い尽くそうとしている。曰く、

>一般の人は、人間を「天才と凡人」に分けているが、蛸壺屋さんはそうじゃない。あの人は、人間を「天才・エリート・凡人」の、3つに分けている。で、創作・パロディ問わず、これまであの人が描いてきたのは「エリートの嫉妬」だ。


何の努力もしていない人間はテーマにされない。努力を重ね、その報奨としてちやほやされたりプライドを持って地位を築いてきた「エリート」を、
ある種イノセントな奔放さで軽く上回り、打ち砕いてしまう「天才」の残酷さを描き、レゾンデートルを失った「エリート」がどう生きて救済されるかを綴ったのが本作である、というのだ。
これは、メジャーな少年漫画のデビュー最終候補に幾度となく残り続けるも、後一歩でプロデビューをことごとく逃してきて、「同人作家」を生業としている作者自分自身へのメッセージでもあると考えれば妥当のように思える。
もしこれが正しいのであれば、おれがこれを読んで「救済された」とか感じたりするのは、他の多くの人の場合と同様、おこがましいことになるのかもしれない。

しかしおれは、同人誌という形式はとっているけれども、この作品を全ての、難関に挑み、跳ね返されてプライドを失いかけた人に読んでもらいたいと願う。
エリートであろうとなかろうと、あるいは天才であろうと、己の設定する壁を乗り越えて達成感を得ようとし、それに届かなかったときに受ける気持ちには共通の何かがある。そこから前に向かせてくれるのが本作だと思うのだ。

頑張る途中で挫折する人、頑張るのが嫌な人、頑張るふりをする人、頑張る人を傍観する人、頑張る人を馬鹿にして自分を保つ人。彼らの信条の中に「頑張ってだめだった時はどうすればいいんだ」というモノが必ずある。
彼らと一線を画し、どうにかこうにか分が悪いことでも「頑張って」何とかしようという自分の立場からは上記のように感じた。
以下、ベタだけれどぐっときたラストシーンの一つと、そこで使われている伊集院光の言葉を引用する。

20100814201813_50.jpg


「俺なんかね、やっぱり、電車関係の仕事は電車が好きな人がなった方がいいと思うよ。
(中略)電車がすごく好きで、 電車の商売に就く分には多少賃金が安くても頑張れるって人とか、他のことだったら思い入れはないけど電車に関しては正直にやれるとか。
例えば、東京駅で働くってことが自分の中で勲章になるから東京駅が今一番便利な使い方はどうか、ってことを暇なときに考えることを別に嫌だと思わないって人は居ると思うんだよね。(中略)
賃金が安くても憧れの仕事の一環だから頑張れるみたいなことはすごい大事なことだと思う。
ゲームの時も思ったんだけど、 ゲームも今、ネットで会社が直販することで安くなる事はすごく良い事良い事って言ってゲームのお店とかどんどん潰れていったりとかするじゃん。
だけど、意外にゲーム会社にも就職できなかったけど、ゲームデザイナーにもなれなかったけど、だけど、『今ゲーム屋さんやってんだ』って人の持ってるゲームに対する真面目さみたいなこと。
『僕、これお勧めなんです』ってことを『言う力』とか意外にお金で買えないような部分があるんじゃないか。 」
posted by 熊りん at 12:36| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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