2009年04月29日

そうか、俺は人生に期待していたのか

「楽しいことばっかりしてて、楽しいわけ無いじゃん」と西尾維新は言うけれど、たまには楽しいこともしたい。
何が楽しいとか分からんけどね……。
休日だってのにどっかに遊びに出かけず家でPCいじってるのは
不健全であんまり溌剌としてこない状態だとは思う。んでもって
寂しいしね。
でもじゃあ遊びに誘われたら行く?って聞かれても微妙。面倒くさい。それがまず第一に来る。
わざわざ出かけてまで遊びたい相手とか今おらんよ。

小学生の頃は、中学生になったら凄く楽しくなると思ってた。
実際、なった。思い描いていたのとは違うが、小学生の妄想どおりの
中学校生活になっててもキモいしな。
アレ以上望んだらバチが当たるんじゃないのか?っていうぐらい楽しかったよ、中学校の頃は。
なんつーかどこの分野でも取りこぼしがない。そんな中でも政治に絶望したり当時からのネガティブ傾向で眉毛毟ったりしてたけど、そんなんは馬鹿の極みの行為でした。

中学生の頃は、高校生になったらもっと凄く楽しくなると思ってた。
それは、ならなかった。
成長した面も認めることはできる。でも、傍から見ても今の俺は楽しんでるとは思えないよ。

小4ぐらいのころに書いてた小説(笑)もどきが出てきたので読んでた。
原稿用紙400枚ぐらいにフリーダムに書いてある。内容は、その頃愛読してたBLEACHやらワンピの内容をモロにうけまくってる
能力バトルで、舞台は通ってた小学校。
うんざりを通り越す冗長さで面白い/面白くないとか言えるレベルでもないのだが、
一個気づいたことがある。
原稿用紙400枚に達するにもかかわらず、その話は全然終わる気配がなかったのだ。
敵の部族はどんどん数を増す。こちらも味方を増やすけれど、敵は減る数を大幅に上回って増殖していく。
週刊マンガに影響を受けたからかも知れないが、とにかく、その話は収束していかずにどんどん広がっていた。

俺は何かが終わったりするのが嫌だった。全・19巻とかの大作でも、
最初はハイペースで読んでいくけど、終盤になると急に寂しくなってくる。
完結するということはその作品の世界が閉じられるということだ。
俺はそれに何かとてつもないネガティブなものを感じて、嫌だった。

話にまとまりがなくなってもいいから、ずっとその世界が続いてほしかった。それだけ作品にのめりこみやすいタイプなんだろうか。

去年の暮れごろ、ニュー速に「人生なんてどうでもいいからさっさと
飛び込む勇気がほしい」とか書き込んだら、
「本当に人生がどうでもいい奴は何となく社会に従って立派に生きる。お前は人生に期待してたんだよ」というレスが返ってきた。
とても印象的だったから保存してある。


そうか、俺は人生に期待していたのか。
ちっさいころから体格や水泳のセンスに恵まれていただとかはある。
親や指導者といった「大人」に期待されて、それが重荷だなどと
放言しながら内心では言い知れない自尊心の快感を知っていた。
将来を期待されるから、俺は自分の将来は凄いものになるんだと思ってた。
だから所属する場を変えるたび、次はもっとよくなる。次はもっと何か凄いものが待っている。と、わくわくする気持ちがずっと続いていたのだ。
俺は「今」ではなく未知の「未来」を期待して、大切にした。人生は
進むたびにどんどん広がって、今の自分には得体の知れないものとしか思えないほど凄い何かが待っているはずだ、と。
あんまり未来のことばかり考えていると、現実や周りの友人たちとの齟齬が生じて痛い目を見ることがあったが、あまり気にするレベルでもなかった。
だから、「楽しいのは高校のうちまで」とか、「やっぱり高校時代が一番楽しかったな」とかを大人の口から聞かされると俺はあせった。
そんなことがあってはならないんだ。人生は、もっといいほうに広がっていってくれないと困る。こんなもんじゃまだ駄目なんだ。

楽しいものは、永遠には続かない。さすがに中学にもなると薄々と知っていたが、俺の希望の根源にあった大人の言葉でそれを語られると、俺はひどく動揺した。
じゃあ、大人が言う、「一番楽しい時代」の高校って、どうなるんだ?
去年はその問いがひたすら頭の中で響いた。幾たびも、幾たびも。

友達だと思っていた人と離れ、部活でも勉強でも後退を続けていたあの頃。今までなら多少のブランクも「今我慢すればこんなのが馬鹿らしかったと思えるほどいい未来がくる」と吹き飛ばせていたが、もうそれは不可能になった。
自分で調べてもどんどん確信は深まった。大学生は猫より暇だ、無茶ができる。官僚は楽に高給だ。
世間のそんな勝手なステレオタイプな感想と現実は違う。
難関になるほど大学での授業は厳しいものとなるし、一般的に高給といわれる仕事は、とんでもない激務の上に成り立っている。
「時間は自分で作るものだ」確かにそうかも知れないが、「難易度」が今までと段違いになる。
そんなもんに希望も持てない。自分で時間を作ったとしても……じゃあその時間で何する?
こうやって憂鬱になっているときはネガティブにしか考えられないのかもしれないが、普通にしているときだって、どう考察しても
将来仕事に就いた後の人生が楽しくなるとは思わなかった。

去年一年間俺を覆っていた果てしない欝のベールは、説明してみるとこんなもんだと思う。
自分で読んでみても、どうしようもなく甘えだと思う。
まともな人が読んだら怒りだすに違いない。
でも、そんな下らないもので根底にあった俺の希望だとか心の支えは
壊れてしまった。 それはたぶん事実なのだ。

今は「やってみなきゃ分からない」「絶望したとしても、死ぬまでは義務を果たさないと、今よりもっと悪くなる」
そんなカルトじみた自己啓発でなんとかやってるが、最近になってもたまに上記の欝スパイラルに陥ることがある。

あと2年弱。希望をもつためには自分が頑張っていくしかないんだろうな。
そう思いつつも、休日でみんな家に遊びに行ったりしてるのに
俺はこうやってパソコンに向かっている……。
posted by 熊りん at 12:55| Comment(1) | 厨2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
何となく生きていようが
甘美な死を求めていようが
生に期待してんだよ

命ってそんなもんだろ
Posted by 山 at 2009年06月11日 01:19
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