2010年07月06日

緊張を刻む。

また自分自身の問題に戻ってきた。


高3に入ってすぐ、水泳においても勉強においてもスランプに陥った。非常に辛い時期だった。周囲の環境のせいにしたりもするが、原因がそこにないことぐらい判断できるから結局自責に行き着くしかなく、精神衛生的にキツかった。
現在は産みの苦しみは脱した。だが書いたとおりの、「これが産みの苦しみだというならとんでもないものが産まれてくれなきゃ困る」という願望にはまだ達していない。

会心の成果を叩きだしたときの、全身を駆けめぐる歓喜の感触をまだ覚えている。直近でそれが訪れたのは12月の試合で大ベストを出したときだ。瞬間に訪れる達成感以上に、激しい喜びが引いた後自身に訪れるより深い自信を今まさに渇望している。
「成績」を残せたのだという自信は自分の中にとどまり、それからの自分の指標になる。
例えば自分の取り組んでいる水泳で説明するが、24秒台の自己ベストを持つ選手が23秒台を出すと、その瞬間に自らを「23秒台の選手だ」と位置づけることができて、すぐさま23秒の前半を目指す意識が自然と備わっていく。次の試合で、以前までのベストと同じ24秒台を出したとすれば心底悔しがる。
自意識を指標に沿わせるというやり方を濫用すると何でも数字や実力で判断することに繋がりかねないが、【勝負の世界】においては非常に重要なことだし、勉強のモチベーションとしても―特に受験勉強は自分の勉強に自信を持って取り組むことが望ましとされているから―必要なものである。

今の自分に翻る。5月にシーズンが始まって以来、4試合連続でシーズンベストを更新し続けている。だが会心のレースはまだない。本当に0.1秒ずつ刻むように前進している。
自分の限界のぎりぎりまでを引き出し、余すところなく50mの泳ぎに凝縮する完璧なレースはまだ出来ていない。だから今シーズン歓喜したことはない。全て数多くの反省点とコンディションの悪さが関わっている。
毎回越えるべき目標を辛うじて突破しつづけている感じだ。だからほんの僅かの安心感と、より研ぎ澄まされた緊張が引き継がれ、更に厳しい目標へと向けられる。
勉強も似たようなもので、B判定に近いC判定をとった。喜ぶことも安心することもままならないが、前進を確かめて次への弾みにすることはできる。

この緊迫感はなかなかな重みで自分にのしかかってはいるが、むしろいま歓喜するほどの成功を収めなくてラッキーだと思う。
自分の感覚の限界を揺るがすほどの気持ちよさは、予選の段階のいま見るべきものじゃない。
最後の最後、整えられた舞台でもぎ取ってこそ最高のものとなるのだろう。
大ベストをだした後の自分はスランプに陥りがちな傾向にある。水泳は毎回ベストがでるものじゃないからある意味で当然なのだが、やはり得る自信以上に慢心も入ってくるからそうなるのだろう。
勉強でも、A判定をとってから暫く痛い目をみた。今シーズンにそんな自滅に陥っている暇ももちろんない。


正直なところ早く楽になりたい、終えてしまいたいとはやる気持ちもある。さっさと自己ベストを安心できるライン―たとえばIH決勝ラインより遥かに上―に持っていってしまって、
気楽に近畿大会を戦いたいとも思う。結果的にそういう形になるのならいいが、
そこに至っただけでまた安心しきってしまうぐらいならばまだ緊張感に耐えるほうが最後にはいい効果をもたらしそうだ。
その最後の成功を確信しているからこそ耐えられる、とも言える。
この膨らみつづける緊張感に呑まれず、笑い、さらに緊張感の重みが増していくのも厭わないという姿勢でこそ今シーズンを楽しみつくすことができるのではないだろうか。
posted by 熊りん at 23:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。