2010年07月27日

舵を取る (0)序

基本的にこのブログはアクセス数が日に20にも満たないので、俺の記事は世界に向けて発信されているとは言えない。まず自分自身に向けたアウトプットとして、
それから数少ない知り合いへの触発になればと思って記事を書いている。


それが部活を引退する9月以降になるか受験が終わる3月以降になるかは分からないが、この形式は転換させるつもりだ。
多くの人に読んでもらえるようにもっと分かりやすく纏まった文章にしたり、世相に応じた題材で書いたり、意見の交換に重きを置いたりしたい。
具体的には、波長が合いそうなはてなダイアリーに進出するのもいいかもしれない。ネット上で見つけた尊敬できる相手、競り合える相手に「熊りん」としてぽんぽん意見していくのもいいだろう。


素直に白状すると、この形式が一番ストレスを発散できる。、頭に浮かんだことをそのまま書けて、後は文章として微修正しているだけなのが主だから。言いたいことを言える。
飾っていないからこそ、余裕のなさげな性格などは文章にも現れていると思う。そして、それもそれでいいとも、思う。
しかし大学に入っていった後は、もっと吟味し、もっと妥協をなくし、もっと分かりやすい形に乗り換えることもきっと大事だ。
今の形で通用する範囲は波長の凄く合う人までな気がするのだ。
合わないけれど納得させねばならない相手だっている。これからも増えていくだろう。


転換に先立って、では結局このブログは何だったのか、そしてブログで見えた自分とは何なのかを纏めておこう。
この余裕なさげな18歳が何者なのかというのを、最初に挙げた二つの理由で記事にして理解しなおさなければ、現状自分を覆っている問題点も掘り下げられないはずだ。
例えば俺は「●●が嫌いだ」という感情をモチベーションに記事を書くことが多い。何でもかんでも嫌っていてはそれこそ広く一般に受け入れられるのは余計に難しくなるに違いない。
そこで、じゃあ博愛主義に転向します、というのではなくて、とりあえず何で嫌いなものが多いのか説明できるようにしておこう、というのである。

間にその都度思いついたほかの考えを記事にしていくことを交えつつ、以下の3段階を経てこの試みを完成させようと思う。

(1)自分の成り立ちを理解し綴る。
(2)ブログが果たしてきた役割を思い返す
(3)それらを踏まえた、修正点を挙げる。


そういうわけで、つづく。

「船は動き出してしまった。今さら停めることはできない。ならばうまく舵を取るしかない。」
posted by 熊りん at 00:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月25日

都合よくなく負ける意味。

【概要】

地方大会で100分の1秒差で負けて、引退レースにするつもりだった国体に出られる可能性がほぼ無くなった。

正直言って、想定もしていなかったことだし、とてつもなくショックだ。
すぐには切り替えられない。すぐに切り替えられるほど甘い意気込みではなかった。
だが、この失敗は決して無駄に出来ない。まだ俺にはインターハイとジュニア・オリンピックが残っている。そしてその後には受験が控えているし、節制して生きれば人生はあと70年は残っているだろう。
集大成である3年生の地方大会で失敗し、大事なものを失った意味と、残された日々を、決して無駄することは出来ないのだ。
だから纏める。

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posted by 熊りん at 16:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月06日

緊張を刻む。

また自分自身の問題に戻ってきた。


高3に入ってすぐ、水泳においても勉強においてもスランプに陥った。非常に辛い時期だった。周囲の環境のせいにしたりもするが、原因がそこにないことぐらい判断できるから結局自責に行き着くしかなく、精神衛生的にキツかった。
現在は産みの苦しみは脱した。だが書いたとおりの、「これが産みの苦しみだというならとんでもないものが産まれてくれなきゃ困る」という願望にはまだ達していない。

会心の成果を叩きだしたときの、全身を駆けめぐる歓喜の感触をまだ覚えている。直近でそれが訪れたのは12月の試合で大ベストを出したときだ。瞬間に訪れる達成感以上に、激しい喜びが引いた後自身に訪れるより深い自信を今まさに渇望している。
「成績」を残せたのだという自信は自分の中にとどまり、それからの自分の指標になる。
例えば自分の取り組んでいる水泳で説明するが、24秒台の自己ベストを持つ選手が23秒台を出すと、その瞬間に自らを「23秒台の選手だ」と位置づけることができて、すぐさま23秒の前半を目指す意識が自然と備わっていく。次の試合で、以前までのベストと同じ24秒台を出したとすれば心底悔しがる。
自意識を指標に沿わせるというやり方を濫用すると何でも数字や実力で判断することに繋がりかねないが、【勝負の世界】においては非常に重要なことだし、勉強のモチベーションとしても―特に受験勉強は自分の勉強に自信を持って取り組むことが望ましとされているから―必要なものである。

今の自分に翻る。5月にシーズンが始まって以来、4試合連続でシーズンベストを更新し続けている。だが会心のレースはまだない。本当に0.1秒ずつ刻むように前進している。
自分の限界のぎりぎりまでを引き出し、余すところなく50mの泳ぎに凝縮する完璧なレースはまだ出来ていない。だから今シーズン歓喜したことはない。全て数多くの反省点とコンディションの悪さが関わっている。
毎回越えるべき目標を辛うじて突破しつづけている感じだ。だからほんの僅かの安心感と、より研ぎ澄まされた緊張が引き継がれ、更に厳しい目標へと向けられる。
勉強も似たようなもので、B判定に近いC判定をとった。喜ぶことも安心することもままならないが、前進を確かめて次への弾みにすることはできる。

この緊迫感はなかなかな重みで自分にのしかかってはいるが、むしろいま歓喜するほどの成功を収めなくてラッキーだと思う。
自分の感覚の限界を揺るがすほどの気持ちよさは、予選の段階のいま見るべきものじゃない。
最後の最後、整えられた舞台でもぎ取ってこそ最高のものとなるのだろう。
大ベストをだした後の自分はスランプに陥りがちな傾向にある。水泳は毎回ベストがでるものじゃないからある意味で当然なのだが、やはり得る自信以上に慢心も入ってくるからそうなるのだろう。
勉強でも、A判定をとってから暫く痛い目をみた。今シーズンにそんな自滅に陥っている暇ももちろんない。


正直なところ早く楽になりたい、終えてしまいたいとはやる気持ちもある。さっさと自己ベストを安心できるライン―たとえばIH決勝ラインより遥かに上―に持っていってしまって、
気楽に近畿大会を戦いたいとも思う。結果的にそういう形になるのならいいが、
そこに至っただけでまた安心しきってしまうぐらいならばまだ緊張感に耐えるほうが最後にはいい効果をもたらしそうだ。
その最後の成功を確信しているからこそ耐えられる、とも言える。
この膨らみつづける緊張感に呑まれず、笑い、さらに緊張感の重みが増していくのも厭わないという姿勢でこそ今シーズンを楽しみつくすことができるのではないだろうか。
posted by 熊りん at 23:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月02日

ちやほや文化はどこへゆく

「世界で一番おひめさま
そういう扱い心得てよね」 (「ワールドイズマイン」より初音ミク)


「女は戦利品だ」(村上龍「すべての男は消耗品である」より)


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posted by 熊りん at 00:14| Comment(0) | 厨2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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