2010年06月29日

人間一人の重さ

「人命は地球よりも重い」 福田赳夫(元総理大臣)


「(前略)ワールドカップを見てみろよ。みんなあんなに必死になって戦うのは、国の代表だからだろ。国を愛し、家族を愛し、仲間を愛しているからだろ。日本はそこんとこから外国に負けてる。自分のためだって?そんなの当たり前じゃない。じゃあなぜ、もっと大きいものを背負わないの? オレ、日の丸背負ってなかったら、あんなに頑張れなかったよ。ドーハの時、オレは三八歳。あのクソ暑い中で、そんなオジサンが全試合、それもほとんどフル出場。練習だって若いヤツらと同じメニューをこなしてたんだ。自分のためだけだったら、とっくに辞めてたよ」 ラモス瑠偉(元サッカー日本代表)


この記事は前振りと併せてご覧ください。続きを読む
posted by 熊りん at 19:24| Comment(0) | 厨2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月27日

あなたと私の合言葉〜「あと1秒上げる」/集中について

大会新だん。京都高校新うぃる。
府下大会初日は、前回よりタイムを上げて国体の内定を一応確保したので合格点。しかしインターハイの決勝ライン付近に至ったこれからが本当の勝負。会場で会ったいろんな先生や友達に「あと1秒」と宣言した。

当初は通過点ぐらいに思っていた府下大会であったが、前々日に起こった事件や俺の採った行動によって複雑な背景を孕んでしまい、書くべきことはタイム以外にも沢山ある。ただ明日も試合は続くのでそのことは一旦置いといて、今書いておきたい心情だけをここに残しておく。


50m決勝の直前の俺ははっきり言って追い詰められていた。先々週の試合で決勝で先着されて国体の内定は宙ぶらりんになったので何としてでもタイムを出して優勝しなくてはならない。
しかし予選はスタートミスもあり凡なタイム。オマケに決勝の直前に800mリレーの予選が挟まれ、予想以上に体力を消耗している。
プレッシャーも相まって最悪のコンディションの中、結果的にタイムを出せていろいろと払拭できたのだが、問題はその時の心の持ちようである。

最近は学業のことで一人思い悩んだり恋愛サーキュレーションみたいな気分になったり輝いてる人を見て心を動かされたり同級生たちをたぶらかす女の子のどうしようもない話を聞いてうんざりしたりと、
自らを含む多方面からの刺激でぜんぜん自分の考えが定まっていない。
しかしそんな中でも最も絶対値の大きい感情だけは同じで、拒絶感である。
ゼーゼーハーハーしていた決勝前、Aero smithの"Dream on"か鬼束ちひろの"Tiger in my love"でも考えながら泳ごうという考えがふとよぎった。これからは相手への無理解を求める突き放す曲であり、今まではこういう曲がいちばん自分をヒロイックにしてくれていた。
「あなたには決して見えたりしないでしょう」とシニカルに言って自分の世界に閉じこもって集中するのみだ、とか厨くさいことをこれまで緊張した時にはやってきた。
しかし本当に追い詰められた今日の局面では、その考えが急にさっと失せたのだ。
拒絶感がどうとか、どうでもいい。何も考えない。都合の悪い事実(予選がダメだったとか)は忘れる。とにかく目の前のことが全て。
そういういった気分にはまって、胸の辺りにいたものがクッとおなかに下がってきた。
そして特に何も考えず50mに全力を出し切り、タイムを確認してからその意味(大会新であるとか、国体選考において有利になったとか、大阪のライバルに並んだとか)を一つ一つ思い出していった。
俺はこの記事のように出来事について面倒くさい視点もまじえていろいろ話すが、そんなのは後で思い出してするものでいいのだ。
すっと1点に自分を収束し、終わってからそれを解きほぐすしていく、という感覚だろうか。
今までの自分の水泳人生は「最後の最後には何とかしてきた」というポジティブな言葉でくくれるが、それの意味するのはまさに今日のような心境ではないか。
土壇場では拒絶がどうとか周りがどうとか考えてる余裕すらないから結果的に今まで後に残る失敗をせずに済んできたように思う。
記事をさかのぼると1月の合宿についての話に行きつく。あれで俺はさんざ不満を原動力にしようとしていたが、答えはその先にあったわけである

幸いなことに、泳ぎ終わってから思い出していく事物たちが今となってはとても充実している。それは支えてくれる存在や語るべき相手である。そういった意味では、これはかつてなかった。
水泳においても勉強においても、あらゆる集中を要するものに当てはまりそうな事項だ。
この記事は少し自分の緊張に対する観念も交えてこれから推敲するかもしれない。
posted by 熊りん at 00:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月21日

辞めた理由+前振り。

ここ数日、部活勉強ともに調子がいいのは他人への拒絶感が増したからだ。Twitterやmixiを読むのをやめた効果だろう。どちらも楽しかったが、
例えばmixiのボイス機能なんかは、どうでもいい人間がどうでもいいことに固執し鼻おっぴろげたドヤ顔をしている姿が頻繁に見られて嫌だった。
人間1人の勝利、幸せ(なんかこう書くと創価学会みたいだけど)は非常に尊いものだと思う。だから応援している人がうまくいったりすると本当に嬉しいし、肩を並べるものとしての喜びがある。
だがしょうもないことを重宝し、文化を作り言葉で囲いをつくり、その価値観が一番であるかのように主張してくるものは醜いと思う。価値観の優位は表立って主張されることはないが、
あるまとまりが近い外へ向けて同調圧力を発し始めれば、それは他を否定し他人の価値観に侵略を始めていることに違いない。
うまく例え話できればこの抽象的な感じがすっきりするのだろうけれど、とにかく自分のグループに対して自省がない人たちは、多くのグループからは外にいる俺からすると気持ち悪いことが多い。
デコログの地域別ランキングで競っている奴らなんかは例えになりえるだろうか。
そういうものに触れ続け、慣れ、お世辞の一つでもうまく飛ばせるようになるのが「コミュ力をつける訓練」だと思い込んでいた。
正しいトレーニングだったかどうかは知らないが、そういうものにコストを払う余裕はなくなった。
そうして休止してみれば、こうして俺という人間の器以上の関心事を抱えずにすむようになり、随分楽になった。
代わりに見知らぬ人間へ喋ったりすることはまたへたくそになるかもしれない。

少し話はそれるのだが、心情がそのままダイレクトに書かれているブログを読むことに関しては、対象が「どうでもいい人間」でない時こそ、少し気をつけようと思う。
何でも把握しようとするのはやはり少し醜い。
普段のテンションで会い、話している人間がブログでは予想外の人物と関わり、自分に見せない思考を展開しているのを見たとき、
最初にくるのは「引く」という感情かもしれないが、暫くするとずいずいひきつけられて気になって読んでしまうだろう。そうして把握しようとする。
その動きはあまり余裕がなさそうなのだ。だから、好きではない。
他の多くの人がそんなことは意図せずに友達のブログを読んでりしているなら、それでいい。俺は例によって万事を面倒くさく考えてしまうのでこういう発想をしてしまう。
俺のブログの目的は多くの(可能な限り)共感できる人、対立できる人を探すことにあるから沢山読んでもらいたいが。たまに愚痴ったりするのは「ああそういうこともあるんだな」程度に受け止めておいてほしい。

話を戻す。以前のように、「かくあるべき社会のためには、こうあるべきだ」といったドグマを胸に100%突っかかってやろうという気はない。
俺は自分の属するグループと有する価値観がナンバーワンで、影響を受け得ないとは思わない。
批判を言葉や体で受けたときに気づけるだけの理解力は身につけておくつもりだ。
「俺にはよく価値は分からないが、何か大切にするものがあるのだろう、それならどうぞご勝手に」というのがこれからの姿勢。
先の姿は、一見ひよっているようにも見える今回よりもなお中途半端だった。
対決を迫るのなら微妙に理解なんぞ求めようという甘えを捨てるべきだし、今度「かくあるべき」という発想に至り、今挙げたような人たちに直面せざるを得なくなったら、それなりの修辞法と雰囲気を用いることになるだろう。
そういう訳で、素で接しても万人にウケてこちらも好きになれるという理想は、俺のドロップアウトでこうして失敗に終わった。
まあこれはキャラの問題だからしょうがない。万人ウケしなくてもいい。

一つ大事なのは、否定の矛先はどうでもいい人間に対してのみに限られるということだ。そちら側へ絶対にやるつもりのない関わりというものが存在する。
その境界を設定しようとするたびにいろいろなものが入り混じり、どこまでが大切なのかが計りにくくなるのが少しだけ悩みの種である。
大事なものと大事でないものの判断は、言うまでもなく俺の主観だ。どうやって違いを見出しているのか分からなくて、肝心なことは言葉にできないというのが歯がゆい。



ここまでが前振りである。(井の中の蛙的かもしれないが)広げすぎていた手をほどほどにまで戻したら気も楽になったし調子が上がった、という話だ。
そうした状態に入って2日ぐらいだから暫く続けて体感していくのだが、早くも「これでいいのか?」という気分はある。
人間1人が自分自身のことしか考えていなければ、得られるものも人間1人分でしかないのでは、と思うのだ。
抱え込むこともやめ、同調圧力からも抜け出し、関わりたいと望むものとだけ関われる今こそ、何故外に求めたものか、何を求めえるのかを考えにまとめたい。
これは―やはり自分自身にのみ限定される小さな事実だが―俺が東京へ出て行きたいと思う気持ちにも通じるところがあるだろうから。

結論はでていないし出せたとしても大したものとして結べるかはさっぱり分からないが、とりあえず今はそういうことを考えている。
以上、前振り。

posted by 熊りん at 20:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月20日

24.7

ツイッターなどから半ば撤退したので、ちょっとしたこともブログに書いていくかも。使い分けをきっちりするつもり。

今朝、飛び込みなしでの50m自由形で半年ぶりに24秒台が出た。

12月の試合でJOの標準を突破したレースの前日以来となる。
練習で24秒が出るのは絶好調の証だが、今年に入ってからは気にするあまり試合の前日も25.0にとどまり、
それを不調だと意識して本番も失敗する……という情けない悪循環がつづいていた。
今日、何でもない練習であっさりと出せたことは、二段とばしぐらいの飛躍の兆候な気がする。
posted by 熊りん at 19:52| Comment(0) | 水泳/筋トレ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

取り消し×

二つ以上抱え込むと崩落する
感情を抑えるすべがない。
posted by 熊りん at 00:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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