2009年11月29日

他人に期待してはいけない

期待をした場合、他人から期待されなくなる。
同学年ぐらいの場合はこれがほとんど当てはまる。

例えば「病み」のとき。
助けて理解して慰めて
と求めればそりゃその場では何か優しい言葉や
叱咤激励はもらえるだろう。だけど人間関係には少ーし溝ができる。

とは言っても俺は病む。いまもまさに病んでる。
しかしその解消方法に他人を選んじゃだめ。
いつもいう「死と再生」だね。

俺もう無理><ってわめきちらす

周りは心配せざるを得なくなる

たくさんの友達に支えられて元気になれました(キャピ

女の子ならまだしも
男でこれは流石にやばくないか?つうかまあ、これしても
構ってくれる人がいるなら多用するけど
失望を買うだけなのさ。

自分の悩みは
より大きな野望で埋めるしかない。
それって結構自立した姿だと思う。
これは「自分の打ちこむことに自信と誇りをもつこと」
にも帰結する。やっぱりそこじゃないの?

世にはびこるリア充を見るに、奴らはそこらへんを押さえてやがる。
悩みをオープンにすることはあっても
「俺にだって悩みぐらいはあるよ」っていう物憂げさを
ファッション的に軽ーく出してギャップにしてるにすぎない。

中には本当の能天気もいるかもしれないが、リア充に悩みはないわけじゃなかろう。
だが奴らはオープンにナヨナヨしてない。
だから頼りにもされるし輝いてみえる。

そういえば、俺に沢山相談をくれていた子が、
俺が相談した瞬間に疎遠になったことがあった。
そりゃあまりにも露骨で極端だが、自然な反応なんだろう。

自分の意思を伝え、理解してもらう方法はまだわからないが、
とりあえず嫌われない、相手からの自分に対するイメージを維持する方法としては
以上の感じでどうでしょう。

期待をしない。そこから人間関係は始まると思いませんか?
posted by 熊りん at 09:33| Comment(5) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月23日

他人をどうするか問題・具体案

びしっと信条を持つほど安定できないでいる。そんな中で抽象的な自分の像を描いていても前進はない。
具体的なことを考え、ポイントを整理するのは苦手だが、今回はそれに取り組む。
しかしまだテキストにおこしている段階、単なるメモとそう変わらない。じょじょに収斂させて立派な結論を導き出していきたい。


【懸案】
(大)大勢の人間と打ち解けることができない。→リア充になれない。

(中)つまり彼女ができない。

(小)「どうでもいい人間」か「重たい人間」に思われる。話題が続かない。会話が楽しくない。引け目を感じる(劣等感)

【実際なにがある】
・仲良くなった奴とすぐメールできなくなる。コミュニティ内でうく
・言いたいことが伝わらない("通用する"文章力不足、これで引かれる。)


【自身の問題点と思えるもの】
@気楽に考える姿勢不足(陰気・閉じこもりがち)
A共通の話題不足(ファッション恋愛オタゲームその他。)
B自信のない態度、姿勢
C偏った自尊心(相手の興味外のこと。)
D喋り方(尊大な性格がもれている?)
Eしつこさ
F配慮(コミュニティ内で、本当に大事な部分に気をつかっていない、相手の気持ちを考えていない等)
G見た目(清潔感・ファッション・姿勢……Bと連動)


【対人からの指摘と、自分の中での咀嚼】

●本当に相手を信頼していないからそういうことになる。
まずは相手のいいところを発見して、それを一つ一つ認めていくこと。


→一方的な肯定をした際には、【都合のいい人間】だと思われた。どうやって対等な関係を築くか。ちなみに、この指摘に逆行して高圧的に接したときはひどく嫌われた。
自分の信じるもの(つまりやってきたこと)を機軸において、そこに他人の言葉もきく余裕ももたせる。
ひとの話をきくことは重要だが、何でもかんでも流されては主体性もないしカッコ悪い。機軸となる自分自身は必要。

→しかし例えばフェスで対人関係うまくして自信に、というステップを踏むのは現実的に一度も成功していない。同時に、自前の自信ではいざ対人と接したときに失敗している。
これは成績を上げるとかタイムを出すことで培える自信ではないと判断できる。性格の問題でもある。
☆やはり、恥じない容姿服装は必須ではないか?
・何をすることからはじめるべきか。今まで試してきたこと……全肯定。わざと意見をきく。意見を言う。相手に合わせる。相手に付け加える。相手を否定する。全体の意見を聞く。(以上、すべて失敗)

→成功と思える事例……初期での積極性。こちらからの能動的な行動は、ふつうはいいほうに捉えられる。しかしその後が酷い。
しつこさ、話題のなさがそれを招いている気がする。(しつこさは性格をなおせばいい、話題のなさは、やはりある程度勉強?)

→いい方法で沢山失敗する(抽象的)というのが一番いい経験のつみ方だと思う。沢山失敗するための場は、幸いある。ではいい方法とは?
「今までと違う方法をためす」……現時点でやはり全敗。
「他人のいい部分を真似る」
うまくやっている他人のイメージ→いい加減、へらへら、髪の毛いじいじ。話をきく寛容性。笑顔基本。姿勢がいい。話題の豊富さ。
さりげなさ。明るさ。安心感。


●視野を広げるべき(抽象的)

→せめて外装ぐらい気をつかうという危機感を抱く。ヲタ話や恋愛話など、ついていけない部分に無理くりついていく必要はない。
できる話をちゃんとする、分からない話はきく。


●本気でうごきつつも、相手の立場を考える
→【本気】の概念に配慮まで取り込む。本気で配慮(ぺこぺこすることとの違い)

●関係は作ろうと思って作れるものじゃないから、自然な形を少しずつ作っていくべき。

→いきなり丁々発止→期待させて落胆、重いと思われサヨーナラー
という第一印象先行型になるよりは、
相手を探るということも大切?理解するためには知る必要がある。
いきなり本気のぶつかりをしても失敗したらハイ、サイナラ。
いきなりめちゃくちゃ仲良くなろうとせずに、小出しにしていくべき??
→なんかDAIGOが、全部知りつくしたら恋愛終わりとか△なこといってた。学校の友達はそうでないにせよ、strangerに関しては男女とわずそうかも。

★★→小出しにしつつ、探っていって、気があいそうなら、自分をさらけだすんじゃなくて、もっと探れるように動いてみる。
本気でいるけれど、自分をさらけ出すタイミングは考えるべき。勘違いされるのは最も忌避すべきこと。
理解されるためには、絶妙のタイミングと方法が必要である。
勝手にさらけだして失敗して傷つくのは、公然わいせつと変わらない。



【他人の嫌いな部分】

・おれ自身の特長に対しては興味がなく、おれ自身が欠点としているジャンルを好む傾向。
・冷静に考えずにほいほい考え、行動していやな目にあわせる。
(これは単に俺がわがままであるという部分も大きい。
約束をぶっち、度をすぎた配慮のない発言などは相手の責任。
それをどう許すというか納得するか→そんなもんだと諦める?)

・あまりにも常識が違う、それを押し付けて平然としている羞恥心。

→共通の趣味の欠落、つまり他人と自分で違う部分が多すぎるからやはり失敗する。しかし、おおよそ一般人ではないような人物が
一般人と打ち解けている事例はあまたあり、そういうところを加味すると俺が他人と打ち解けることも不可能でないはず。

→その人たちはどうやって打ち解けている? ある種のサービス精神(いらいらしない)

☆☆☆→常識がちがう、ではなくて自分に常識がないからでは?
自分自身の信条を妥協して、相手の価値観を積極的にとりいれてみる………中途半端なコウモリ野郎になる可能性もあるが、とりあえず
最初のステップ「まず数人と長期的に仲良くなる」がクリアできれば、
その後のステップに進めるのでは?

★いい加減な人間のほうが認められる
→経験、テクニック、常識、共通の話題の問題。それで自分の特長が否定されているわけではない。
特長が否定されているのではなく、自分に前述の要素の欠落していることを指摘されているのと同意。つまり身につける必要はやっぱりある。


【他人を諦める、と認めるの違い】

理想……丁々発止、気の合う関係。まったく気をつかわずともお互いに踏まえておける。
→現実的に、そんな人間は一生に一人。

→しかしそれっぽくすることはできて、近似は達成できうるはず。そのためにはマナーがいる。(これが常識。ここを踏まえていないと、
対人関係をスタートする資格がない。)

→結局他人というのは自分とは違うことを考えるし、いま共通の興味がない(ゲームとか)俺の場合は、そういう人たちとの溝が極端に深い。

→それでは、他人はなすびみたいなものだと思い、都合のいいようにするべきでは?

☆→そんなんできたらやってる、でも現実的に俺は下手だ。

→本気のぶつかり合いはかなり危険である。本気っぽさを見せる必要はどうしても出てくる。
→傷つくのを恐れない≠本気 ではないかもしれない。【依存】しない限りならいくらでも本気でいいのでは?
→相手に何を求めるか
→☆ある程度、自分に期待したものが得られること。(意見、気持ち)
→そのためにはどうするべきか?
→相手が期待していることを与えるが、一方向にならない工夫
→★★★それがどういうものかは分からない、、、、

【他人にいろいろ求めすぎではないか?】
メール、反応、賞賛、好意……etc

→それにあたうことをしているつもりという勘違い(重大)

→関係に見返りを期待しないということは諦めるということか?

→これを【期待できないもの】とする場合、心の満足感はなにで補完する?

→自分自身がうちこむこと(今の俺)
→そもそも補完しない(人生における満足度に対する過度な期待)



本当にまとまりないなーww
書いているうちに自己嫌悪だおw
でも執筆の途中で気づき、踏み込めた部分もあったからそこは★か☆で示している。
ひとまず俺の最近の頭ん中はこんな感じ、、、
posted by 熊りん at 23:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月22日

学問未然形 だから怖いこと。

俺んちは百姓の出である。そしてそれとは全く無関係に片親で、貧乏である。
故に俺は「家系」「血統」というもので優劣をつけたり、やたら誇ってきたりする主義に過度に噛み付くし、不労所得で暮らしていける金持ちの家に生まれたやつはまぁぶっちゃけ第一印象は気に食わん。

俺のこの思想が間違っているかどうかは今は論じない。しいて自己反省を促すなら、ひがむよりはハンガリー精神育めよって感じかな?

最近ふと気づいたことなんだが、結局俺は「自分の状況を肯定する外からの事実」を後生大事にしている。つまり都合のいいように考えている。
俺が金持ちだったらきっと金持ちを肯定的にとらえる思想を自分の中で育てていただろう。
また俺は五体満足ゆえに、身障者のことをそれほど考えられていない。
個人の哲学はやっぱり個人を取り巻く環境に左右される。

そういうのは俺に限ったことじゃない。普通の人もしているし、極端な奴でいえばたてとえばヒトラー(こいつの援用率たかいなwww)なんかも、自分の主義主張にあった学問だけを尊んで知識を入れまくってた。
まあここまでは、本当にNeedless to say って感じだ。
しかし、断じて学問は自己肯定のために存在しているんじゃない。道具にしてもいいが、学問は宗教でもなければその延長線(もしくは末端)である自己啓発でもないのだ。
道具にしてもいいというのは、たまには気休めに考えてもいいし、詭弁だと自分で理解しているときは悪口に使ったりするぐらいはいいだろう。

だが、信条とかにしてしまった時点でアウトだと俺は思う。
もっと言うと、学説とかにして発表するときっと恥をかく。
ユダヤ人だけで固めた優生学の一分野とかあるようだが、
あえて言及するまでもなくそういうのはバカバカしいし、「世界」に通じるものではなくなってしまう。
するともうそれは、「学問」っていう概念からは追放されると思う。

まとめると
個人が、自分をとりまく状況をなるべく肯定するために
信条をもつことは普通だし、とめようもないし、正しい。
学問を気休め程度にその道具として使うのはいいが、
客観的に体系づけることをとりあえず原則としている学問の、
そういった意味を捻じ曲げて信条に使うことはダメ。

これはしごく当然なお約束事の積み重ねだが、俺と同年代ぐらいの奴は見落としがちなんじゃないかなと思う。
俺のまわりもそうだし、俺もじゃんじゃこ混同しちゃってる。

高等学校は高等教育をするところではない。大学の課程は知らぬが、高校の教育は、例えば世界史オタクにとって世界史のセンター試験を解くことが容易いことから、
あんまり深いものではないと分かる。
教師が「基礎基礎」とうるさいのも、いま俺らがやっている勉強は長大な学問の本当に足がかりの部分であるからだと思う。
そういう段階を、今回のタイトルとした「学問未然形」と名づけてみた。
あいたたた。
学問とはやはり段階を踏むものであるという俺の意見……
これは果たして学問的に正しいのか公理なのか勝手な暴論なのか
は無限ループになるから分からんのだが、
そういった見方をとりあえず肯定しとくと、初歩を広く浅く触っている段階であるわれわれ高校生は、
いかにも2段とばしや3段とばしのレベルにある学問を、都合よく咀嚼してしまいがちっぽい。
きっと教師というのは、そういった失敗に気づき、飛ばしてしまった部分の補完と得た結論の補正を手伝ってくれる存在ではないのだろうか。
なんとなく、独学を部分否定した感じ。
posted by 熊りん at 22:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月06日

右も左もあるものか。僕らが見るのは常に上。

ma1.gif

元ネタは他にあったはずだけど、すごくいいコピーだと思う。人権擁護法案反対の標語。右翼、左翼にとらわれた問題ではない……という意味だ。
でも、実態は……orz


俺は知識人が言うように、ネットの言論の質が低いとは思わない。言うまでもなく「速さ」に加えて、古今東西、それこそ左右、縦横の情報を利用できるという大きなアドバンテージがある。
それに加えて、うまい利用者同士での、それこそ新聞とかの標榜する「ハイクオリティ」な談義は可能である。

というか「質」について新聞やテレビに文句を言われる筋合いはない。
今日の太田総理のあれは勿論バラエティですよね?
芸人と議員をまぜて、議論のお約束も踏まえずに勝手に垂れ流すのがどういう意味付けで行われているのかわからないが、方向付けは理解できる。

閑話休題。しかし現実問題として「ネトウヨ」やらなんやらの暴走とそのレッテル貼りに終始し、当事者も「所詮便所の落書きだから」と
責任をとろうとしない現在の潮流には、ネット特有の弱さが出ている。

つまり「縄張り」という空間的問題である。2ちゃんねるには政治・経済板も主張する板もニュース速報もあるが、ほとんど思想のすみわけが板ごと、最小単位でもスレごとに完全に分けられている。
議論の余地がない。そのために60年代、70年代の安保闘争でバカやっていた連中と同レベルのことを、しかも責任をとらない形でやっているから
こんな風に先細りしていく一方なのだと思われる。

つまり、内向的に閉じて、外部を理解しようとしていない。
だがこれはある意味しょうがないことであり、大衆という流れは、可能ならば自分に耳ざわりのいい情報だけ通るように、場所を占拠してしまうだろう。
リアルでは空間の問題、責任あるしがらみの問題が阻んでいることが、ネットのたがが外れた結果可能になり、そして衰退という末路をたどっている。


2005年ごろの人権擁護法案反対の流れを見ていると、まだ「ネット全体のうごき」感があった。もちろんまとめサイトは存在したが、
個人ブロガーが意見を述べつつ反対の意思表明をし、各コミュニティに訴えかけていくという形が残っていた。
しかし閉塞化の流れに呑まれ、2007年は「一部の人が暴走し、それを嘲笑する」という最悪なパターンにはまってしまった。
人権擁護法案に反対だと述べる、愛国心や危機の話をオープンにしづらいムードが全体を漂っているというのは、きわめて危険で先のない世間だと思う。

これは大衆に限らず他人と接する際の鉄則だが、基本的に「かっこういいいもの、正しそうに思えるもの」に人はなびく。今の「ネットでの政治活動」
には主体性もなければ、それを生む原動力もない。(動こうとすればネトウヨと断定されてそこで摘まれる。実際に主体的に動いている人物はおらず、営利・売名目的の組織にいいように利用されている。)

で、長々と考えてきたが、解決策はまったく見出せていない。
驕りがすぎるかもしれないが、この構造が見えている人(もしくはもっときちんと整合できた構造をとらえられている人)
はきわめて少ないと思う。つまり、一度墜ちたネットでの議論の場を再浮上させるスタートラインに立っている人間がそもそもいない。
「ネトウヨ―煽る」構造には多少変化が見えてきているが、全体を動かすに至っていない。

何か流れを変える動き。それを探りたいんだが、いまだ模索中……。

人権擁護法案、外国人参政権付与、本当に大変な問題だと思う。
主体的にこれを考えるやつが増えてほしいというのは本当に俺の悲願だ。
posted by 熊りん at 23:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「綺麗事では何もかもうまくいくわけではない」が。

いろいろと組織の悩みというものがある。

俺がいまやってる「フェス運営委員会」は、良くも悪くも高校生の集まりだ。
誰かが現実的なことを言わなきゃならん。
その泥をかぶるつもりでいたが、別にそれは「偉い」ことでもない。

皮肉めいたこと言うのは簡単だし、言い放ってしまえば軽い快感もある。
結果嫌われるが、楽なほうへ楽なほうへと流れたポジションである。

キラキラ輝きつづけるほうが数倍難しい。
肯定を堅持するのは茨の道だ。

例えば思い悩んでいる人に対して「どうしたの、どうしたの」
と気にかけてあげるよりも、そこには触れずアホなことして笑わせてやるほうがいい。

そういった公式の根底には「しょせん人を理解するのは不可能」という考えがやはり流れていると俺は思うが、
それはまた別の話だ。


さて水泳でも、「楽に速く泳ぐ」ことが理想とされている。
体に負担なく、効率のいい推進力を得られれば、短距離だろうが長距離だろうが速いに決まってる。

しかし、その理想を追い求めるためには、練習では耐え難いキツさを耐えなくてはいけない。
そう模索し追究してやっとたどり着く形なのだ。

人間関係の立ち位置もそうだ。
楽に、自然体で多くの人を惹き付け、必要な人間と深くなり、
組織を円滑に回せるやつが最強だ。
だが、安易に「人のやらないことをやればいい」精神で
嫌な役回りに撤して悦に入る、そういう振る舞いは哀れだし、
結局考えを放棄して楽な方に走ってるだけなのだ。
posted by 熊りん at 09:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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